(続)コピーとしてのオブジェクト指向

一昨日のエントリからの続きだが、まつもとさんが27日の日記で、更にこのように書かれている。

Smalltalk環境やHypercardにおいて、「オブジェクトを操作できる感」が提供されていることは事実だが、それは「オブジェクト指向プログラミング」とは直接関係ない。それはある意味「アプリケーションの機能」であって、オブジェクト指向プログラミングによらないアプリケーションでもユーザに「オブジェクト感」を提供できるだろう。
[Matzにっきより引用]

この文を読んで、顔を赤くする人は多いのではないだろうか。かくいう私も、10年近く前の事を思い出して、少し顔が赤くなった

未だにアプリケーションの1機能を「オブジェクト指向で作られている」と誤解している人は多い。というのも、オブジェクト指向の黎明期にはオブジェクト指向エバンジェリスト(実はこの"エバンジェリスト"という言葉が大嫌いだ)と呼ばれる人達による、オブジェクト指向をアカデミックな見地から講義するタイプの講習会が随分と流行ったために、オブジェクト指向という考え方とオブジェクト指向によるプログラミングを混同した人が多かったためだ。(教える人と同様の知見を、教えられた人が持つとは限らないよくあるケースだ)

Windowsがお目見えした頃もアイコンのクリックやドラッグ&ドロップでいろいろな操作が直感的に出来るのを、「オブジェクト指向だ」と騒ぎたて、VisualBasicがお披露目された時も、フォームにコントロールを貼り付けて、プログラミングしたのを「オブジェクト指向」と喜んで使ってみたこともあったが、今はさすがにそのような世迷言を言うプログラマはいないだろう。これらは全てまつもとさんが書いている「オブジェクト感」を醸し出すフィーチャを見せているだけであった。

今では信じられないだろうが、黎明期は本当に「オブジェクト指向」というコピーだけで飯が食えた時代だったのである。