コメント

私見だが、総じて日本人のプログラマはコメント(注釈)をたくさん書く(書きたがる)人が多いと思う。何故、日本人のプログラマはコメントをたくさん書くのか考えてみたのだが、やはりプログラミング言語が日本語では無いから、という結論に達する。

元々、通常の言語をベースに、論理や条件、抽象や情報等をシンプルに記述する為に文法を削って磨いたのがプログラミング言語だと思うが、英語圏のプログラマは、シンプルに流麗に書かれたプログラムであれば、コメントなぞ書かなくても、それだけで流れや論理、抽象を読み取るのに苦労はしないのではないだろうか。

それに対して日本人は、よほどそのプログラミング言語(+英語環境)に慣れ親しんでいないと、節々に書かれるコメント無しには、短時間で全体を俯瞰することができないのだと思う。日本のプログラマでも経験を積んでいくことで書くコメントが少なくなり、他のプログラマにもコメントの必要性を認めない傾向になるのもそのせいだろうと。

同じ理由でプログラム仕様書に異常なまでに執着する人がいるのは、ソースコードをぱっと見て仕様を読み解くには、時間がかかり過ぎるからではないだろうか。

ファウラーが言うところの、「PostIntelliJ」なIDEのお蔭もあって、かなり事情は変わってきたのかもしれないけど、ついつい余計なコメントを書いてしまう。あとから見て、なんじゃこのコメント、いらないって削除する(たまたま自分が見つければの話だが)。当たり前だけど、コメントの悲しい所はコードを修正しても、自動的にはコメントには変更が反映されないこと。よほど気をつけないと、コメントはそのコードを後から読むプログラマに疑心暗鬼を植え付けてしまう。