言語が思考を規定する

業界で最初にこの言葉を知ったのは、オブジェクト指向と国民性か何かの記事で、日本語は英語に比べてロジカルな表現やメタな表現が苦手である、云々だったと思う。
残念ながら出自は忘れたが、そんな国民の中の一人がRubyのようなオブジェクト指向でロジカルなプログラミング言語を創り出した訳で、この論法は言語(人種?)差別的で言いがかりにも等しいが、あくまで一般的に、ということなのだろう。

今考えるに、この言葉、我々が日常使う言語ではなくプログラミング言語にこそ当てはまるのではないだろうか。仮に、Javaしか理解していないプログラマJavaの枠でしか物事を捉えられない、ということだ。

普段からあれやこれやと新しい言語や技術に手を出す人を飽きっぽいとか、どうせ徒花だとか、流行に乗っているだけだ、とか揶揄するのは間違いで、それこそが、やもすれば固まってしまいそうな我々の思考の枠を取り払うのに有効な方法なのだろう。

ベテランこそ、流行に乗っちゃってどんどん新しい技術や言語を習得すべきなのだ。