知識集約型にならない理由

早くナレッジワーカーになりたい 「L'eclat des jours」

深刻な問題ですよね。我々の生業はコストで勝負している限り、もう先が見えています。

というわけで、さっさと知識集約型産業へ移行しようじゃないか。

移行できていないということは何かが欠けているということだ。

定義によれば、「知識や技術を多く投入する」ことができないから「労働力を多く投入」になるのだ。

知識とは何か? 技術とは何か?

それがわかれば、移行は実現できる。

ここからは私見ですが、欠けているのは、我々の業界が、ソフトウェアは知識や技術をあまり投入しなくても作れるもの、似たソフトウェアの再作成は容易なもの、構築の工程は予見可能なもの(量産向き)だという、これらの認識が、誤っていたのだと認めることではないでしょうか。(※1) 企業システム構築を始めとする、請負型のソフトウェア開発は有機的で複雑な、予測不可能な工程であり、一種のカオスであることを殆どの開発者は理解しているはずです。
予見が不可能な工程、管理が難しい工程に本当に必要なのは、

蓄積された様々な経験
状況に即時に対応する術

であり、これらがシステム構築に本当に必要な知識であり、技術ではないでしょうか。

※1 全てが誤っていると断言はしないです。あくまで企業向けに構築されるシステムで開発されるソフトウェアを指しています。例えば、結線を変えることで、簡単に動作を変えるような、半導体のセミカスタムASICやゲートウェイのような、例えるなら、最近流行の永続化ライブラリィの延長にあるような(半)自動生成型のソフトウェアはここでは当てはまりません。